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◆ 第19回 | 主なテーマ | 第18回のつづき、昔の弦の話など昔語り(2007年収録分) |
(中国女性ギタリストのDVDを見ながら・・・18回参照) |
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さ |
僕、ここでとてもいいのは、タンボーラ叩いている音がとってもいいなと思う。タンボーラの音がいいなんてあんまりいいたくないんだけどね、タンゴ組曲なんてアサドよりいいよ。素晴らしく音楽的、音程があるの、コンコンというところにちゃんと音程差がある。 |
な | パーカッションとしての? |
さ | そう。パーカッションとしての音程の差がある。 |
ま |
フラメンコ・ギターでルンバを弾くときにこことここ(表面板の指板の下と駒の近く)叩くじゃない? |
さ | 叩きますね。 |
ま |
あれもちゃんと音程差がある。 |
さ | ありますね。 |
ま |
この人たちはかなり鋭い音を出すね。若い時はこういう音、好きだよね。年齢と共に音の嗜好も変わってくるもんだけど、ジョン・ウィリアムスは歳を重ねてもそういう音だね。 |
さ
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意外に面白いと思ったのは、現代ギターの昔の記事を読むと、ジョン・ウィリアムスが最初に来た頃の評論とか、あんまりいいことが書いてないんですね。 |
ま |
あの時代はね、評論家はけなすのが常識だったんだよ。うっかりほめると沽券にかかわるような。 |
さ | そういうところありましたね。 |
ま |
一種の精神論だな。特にテクニシャンには点が辛い。ハイフェッツよりもシゲティを評価した方が高級であると。 |
な |
なるほど、 |
ま |
ジョンなんてけなすには格好の相手だったんだろうね |
さ |
このごろはそうでもなくなりましたね。 |
ま |
あんまりけなすと訴訟の怖れもあるし、実際にあったよね |
な | え! そんなのあったんですか。 |
さ |
ありましたねえ、某氏が某氏と某社を訴えた・・・ |
ま |
だから、今はもっぱらほめる。すると敵は作らないし、次の仕事も来る・・・ |
さ | 持ちつ持たれつの関係ですね。同じ業界で仕事をする仲間というか。 |
ま | ところで、我らの少し前、ギターがブームというか大学のギター部に大挙して入ったくらいだから、その頃の楽器であまり使われていない状態のものがたくさん残っていると思うよ。 |
さ |
あると思いますよ。60年代ラミレス方式で弟子を抱えて数を作るという方法、日本もやったじゃない、中出一門とか、河野さんとか、沢山作って売れたんだから。 |
ま |
そうそう、随分出回ったはずなんだ。 |
さ | その中であんまり広げなかったのは野辺さんとか数人しかいなかったでしょう。 |
ま | そういえば野辺さんの弟子だったという人は今聞いたことない。 |
さ | 全然知らない人で、野辺さんの弟子だったという人が、 |
な |
いましたね。 |
さ | まだ作っているのかな? そういう人もいるんですよ。 |
ま | 今の雅史さん達が生まれる前に弟子達がいたはずなんだよ。 |
さ |
そうですね、40年前、1967年、絶対いたはずですね。「ま」さんの野辺さんだって、 |
ま | 71年、 |
さ | 「ま」さんの頃って、ギタークラブすごい人数いたでしょ? |
ま |
いたいた。1学年で100人入ったこともある。半分くらいは1年で辞めちゃうんだけど、残る人も多い。その連中がほとんど手工品買ったんだもの。 |
な | それがすごいですね。 |
さ | もっとあとの話、20年くらい前ですけど、値段自体がもう今の大学生よりはるかに高いギターを使っていたんです。今はみんなほとんど半手工の5万でしょう? |
ま |
あれ、そんなもの? |
さ | 20年前では星野さんの50万をばんばん使ってた。 |
ま |
それはすごいね。 |
な | 皆さんそのお金はどこから出てきたんでしょう。 |
さ | 親とバイト。 |
ま |
われらのころ、35年前は手工品が5万円からせいぜい10万円どまり。ほとんどの子は5万円を使っていた。カタログには上限15万円とかその辺り。河野はほかより高くて最低6万から7万から。 |
さ | 71年は河野は7万です。 |
ま |
7万から20万位でしょ、30万もあったかも知れない。中出阪藏が20万とか30万が最高価格で、大学でそれ持ってたのがいて、みんなに笑われていたの。 |
な | その笑われていた理由は? |
ま |
お金持ちの子で全然ギター弾けないのが買ったから。それと実際に違いはヘッドに彫刻があるかないかだけ。 |
さ | そういってましたね・・・、僕は荒井貿易に30万のがショーケースに飾ってあった時に、まだラミレス:ホセ・ラミレス3世は33万だった。 |
な | えぇ〜〜!! |
ま | そう、ラミレス33万、でも33万の時は、まだ中出は20万だったと思うんだけど。 |
さ | それがね、1970年に荒井貿易にね、30万のがあったんです。 |
ま |
70年に30万の? |
か | スペシャルモデルだ。 |
さ |
彫刻の中に何か金属がはいっていたかも知れない。間違いないです、Tくんと二人で「30万だぜ!」って |
ま |
70年だったら、普通はね5万から10万だったよ、他の手工品は。 |
さ | 河野も70年の時は5万からでした |
ま | そうでしょう、 |
な | 当時大学進学率っていうのは、 |
さ | 進学率? |
ま | 結構行っていたよ、大学卒だからって特別視されてないから。普通じゃないかって。 |
な | いや、当時の貧富の差とか。 |
ま |
正直云うと、我が母校は僕だけが貧乏で他の人は裕福だったかな。 |
さ | さっき話した高いギター持っていたというのは、関ギ連(関東学生ギター連盟)の中で主にS大学の学生です。各パートに星野の50万を持っていたのは、星野、菊地ね、大体S大学でした。 |
か | 今、東大の子達が、結構高いギターから始めるのと同じ様な感じ? |
さ | 今は東大生が一番高いんですよ。 |
ま |
そうなのか、そういえば親の所得は東大生が一番というのは、もうしばらく前から云われているねえ。 |
か | そうなんですか。 |
ま | あれはおかしいね。貧乏人の子弟が行けるのが国立大学の最大の使命だと思うのに。もっと授業料下げてね、親の所得を制限すべきだと思うな。 |
か | 本当、お金持ちじゃなくては行けないですものね、今。 |
ま | 戦前の人が陸軍士官学校とか海軍兵学校に行ったみたいに。 |
な | ??? |
ま |
いや、陸士と海兵は授業料ただなの。だから一高なみの狭き門だよ。 |
な | 防衛大学もお金出ますものね。 |
さ |
今は学生の中では、東大、東京外語大あたりの子達が一番高いギター使いますね。この間S大の子が20万のアストリアスを買ってくれて、そのギター合宿で3週間で踏み抜かれてしまって・・・そういうのは細かくケアしてあげなくてはいけないと思って、夜中に思い出してメモして寝たりして・・・ |
ま | 保険? |
さ | 合宿で保険かけていたんですね、損害保険、先輩が入るようにと教えてくれたんですって |
ま | それに該当するの? |
さ | ええ、大丈夫だったんです。あとは証明書を取って、全損のね。アストリアスだって、その子にとっては本当に大切なものでしょう?、御茶ノ水を全部歩いて、うちのアストリアスが一番よかったらしいんです、アストリアス買うのに何軒も回って・・・ |
ま | 「うちのアストリアスが一番よかった」というところがいいなあ。僕だって鰺のたたき作るために、何軒も魚屋回る事はあるけど。 |
さ | でも100万のギター買うときにはそうしないかも知れない。 |
ま |
そういう時はしないな。いくつも歩いたらあるという物でもないからね。 |
か | でも、同じ物買うとき、何軒も回ることありますよね、私は解るな、その子の気持ち。 |
さ |
そりゃ、わかるさ。解るからこそ、夜中のメモなんだよ、選ぶのに1ヶ月くらいかけてたんだから。 |
ま |
御茶ノ水を歩いて、決めるまでに1ヶ月。 |
さ | そう、そして最後の日も1日かけた。昼下がりに来て、閉店間際に戻ってきたんです。これ下さいって、そして3週間で潰されてしまった・・・でも踏んだ子がかわいそうだって。 |
ま |
そういう時はどんな反応するんだろうなあ。踏んだっていう話は何通りか聞いた事ある。お父さんが新聞読みながら歩いたとか、 |
さ | ギターが横たわっていた、足もけがしたかも知れませんね。室内だったら。 |
ま | それからお母さんが座ったというのもあった。 |
な | それはソファかなんかに載っていたとか? |
ま | どうだったんだろう? 昔の話だからまず畳に座ったのを連想した。今だったらソファに座ってもおかしくないなと思うけど。 |
さ | ソファにギターがあるのは、まあ、普通にね。 |
ま | 今だったらそっちを連想するかも知れない。当時は勉強部屋だって畳の上に机だったもの。 |
さ | 僕は炬燵に入りながらギター練習してました。 |
な | 僕も大学の頃下宿は畳でした。 |
ま | 畳で練習するのに、背中壁によっかけてね、左足を立てるとやりやすい。 |
な | ポジションが畳の目と逆に走ってる、使えないところがありますよね。 |
さ | 砂壁だったりね、 |
ま | 何の話じゃ、 |
さ |
また、脱線日かな。 |
ま | 今の学生くらいでね、親がギター部にいて古い楽器があったなんて人いない? |
さ | 今結構出てきてますよ、親が使っていた物だけど、って。 |
ま | 今の20万の半機械製よりいいものがあると思うんだけど。 |
さ | 70年代以降だったら、あっても不思議でないですね。まだ、親が使っていましたと云って、菊池さんとか星野さんはないですけど。出てきても不思議じゃないですよ。 |
ま | 中出阪蔵とかはあるんじゃないの? |
さ | ああ、その辺りはいっぱい直しが来ます。 |
ま | それがね、中にはほとんど弾かれていない阪蔵があるはずなんだよね。定演の前に買ってその後やめちゃったとか、そんな事情で。 |
さ |
一週間しか弾いていないとかね。 |
ま | そういうのあるかも知れない、もったいない話だけど。 |
な | まるで晴れ着ですね。 |
ま | そうそう、 |
さ |
僕の代にも何人かいますよ、女の子で。菊池さんの15万と、星野さんの20万と・・・ |
ま |
そういうの電話してみたら? 出さないかって。 |
さ | 僕の親友のコンマスやっていたのが、今井さんの15万、カビ生えてるかもしれないな、出せって云ってるんですけど。 |
な | 今井さんのそんな昔の見てみたいです。 |
さ | あっ、それ12万だったかも知れない |
ま | 今井さんの今のとだいぶ違うよ、かなりほっそりしている。 |
さ | そう、ちょっと細めですよね、音が。 |
ま | 今井さんていうのは、はっきり各段階でダイナミックに変貌を遂げているんだ。 |
な | ほう、節目、節目っていうのがあるんですか? |
さ | いや、あれ程変わった人も珍しくないですか? |
ま | 太い、細いを繰り返している様なとこがある。最初は太くてちょっと鈍かった、そのうちほっそりとしてすっと抜けるようになった、なにか掴んだのだと思う。そういう音は、僕は好きだったんだけど、やっぱり今ひとつスケールが小さい、本人はそう思っていたらしいんだ。で、もうちょっとスケールの大きいものをと改良を繰り返し、だんだん今のような楽器になってきたのだと思う。酒井くんのころのコンマスだったら、僕の好きなちょっとほっそりしたタイプ・・・ |
さ | そうそう、ほっそり。会う毎に云っているんですよ、早く売ろうよって。その頃の指揮者が持っていたのが、菊池さんの20万、それこそ弦が切れたままで・・・二人に云ってるんですけどね、早く出そうよって。 |
か | 今度NHKでね、テキストに広告出したのですけど、クラシックギターを弾こうっていう番組。 |
(昨年のことです。おそくなってごめんなさい) |
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さ | 久々に、 |
か | その先生が荘村さんで。それでね、テキストに広告出したの、タンスの中に眠っているギターの調整承りますって。 |
ま | タンスの中に眠ってたりしてたらいいけど、心ない息子あたりにじゃかじゃかやられたりしていて、傷だらけになっていたりして。 |
な | S先生が小平ギターがたくさんあるなかで、ものすごくいいのがあって、これは小平ではないのではないかという位、本当に手工みたいなのがあって、それを練習用に使っていて、本当に気に入っていたらしいんですけど、やっぱり踏まれて、怒るに怒れないって、近所の子供が勝手に(部屋に)入ってね。この小平がねえって惜しがっていました。 |
ま | これは内緒の話なんだけど、ある半手工メーカーの下請けをやっていた所から販売店が直接買って独自のブランドで売っていたことがある。有名なMTよりよっぽど良かった。入荷のときはラベル無しで、ラベルは別に用意して貼る。 |
さ | あ、それ青学買ってました。 |
ま | それが基本的に5万円だった。でね、これよりいいのが欲しいっていう先生がいてね。この楽器気に入ったと、これよりもうランクが上のはないかというんだ。 |
な | 非常によからぬ想像をしてしまうのですが・・・ |
ま | うん、その想像をこれから云うから、この楽器に定価7万円はないかと、注文されて困っちゃった・・・。そこで窮余の一策、いくつかからスペシャルセレクトしてラベルに70って書いて、 |
な |
うっ!やっぱり・・・ |
さ | ありえる・・・ |
ま |
当然いくつかあるのから選ぶ、それでラベルが同じだからこのままではまずい。 |
一同 |
わぁ〜〜!! |
ま | 特殊な染料で染めた・・・あのギターどうなったかな・・・ |
さ |
これはあってもいい話なんだけど、星野さんや菊地さんが作ってきて、別にクラスを上げたわけでもないのに、これはちょっとこれはいいんじゃないかってところから、レベルが上がっていくのは素晴らしい事だと思うんです。自然にこれはレベルが上がったな、と。例えば50万を作ろうというのではなくて、これは絶対いいですよ、みんなでディスカッションをして、ギタリストに弾いてもらったりして、やあこれはいい、という事で価格が上がっていくという事はありますね。 |
ま | 菊地さんがね、何かのコンテストに出そうと思って作っていた楽器があってね、結局出さなかったのだけれど、随分時間をかけて放置して、ぶら下げてあった。その間充分乾燥して落ち着いたころに組み立てたから随分いいものができた。ところが、その間に自分の設計の変更などがあって、仕上がりが予定と違っちゃった。どう違ったって、たいした事ではなくて、19フレット通ってしまった。それだけなんだけど、本人が見るとどうも格好が悪くて気に入らない。だから一番安い7万円になったの。音は断然良かった。いや違う、一番安いじゃなくてあの頃は一種類しか作っていなかった。 |
さ | あの頃は何種類もないですよね、一つでしたよね。それがさっきのような特にいいのができてきたときにクラスを分けたりするのです。 |
な | ではクラス分けは自然発生的なものでしょうね。 |
ま | 最初はね。で、だんだんそれが度を超してくるとさ、最初から安いランク用にこの目の粗いのをスプルース買っておこうとかさ、そうなってきちゃう。 |
さ | でも、見た目の材料といわゆる音の材料とは違いますからね。 |
ま | うん、違う。 |
さ | まさにエコノミカルマテリアル。 |
ま |
ホセ・ラミレスは1世から今までいくつもランク作っているけど、古い楽器で、たとえばサントスの普及品材料って見たことないよ。ローズウッドは見たことあるけど。でもいかにも悪いローズウッドとかそういうのは見たことない。 |
さ | サントスっていうのは、かなり材が・・・ |
ま | サントスっていうのは必ず最上級で作っていたんだと思う。アグアドやフレタ、アルカンヘルなんかもそうだよね。 |
さ | マヌエル・ラミレスも見た中では、かなりこだわり派だったんでしょうね。 |
ま |
ドミンゴ・エステソというのは、いくつか作っているよね。ドミンゴの甥 っていうのは、それこそ材料は、いわしからまぐろまで何でも買ってくるというか・・・ |
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(な ラミレス1世を弾く) |
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ま |
枯れた音がするねえ。 |
さ | 「ま」さんの中で一番枯れてます? |
ま |
うん、枯れてるねえ、断然枯れている。なんといってももうすぐ100年経つから。 |
さ | そのころの50年代の楽器って新しい訳ですよね。今で言えば80年代なんだから。 |
ま | そうなんだよ。今80年代の楽器見てもそんなに枯れた感じはしない。古い楽器を見慣れてきたからかなあ。 |
さ | それにあの頃そのくらいこなれた楽器って、そうなかったですよね。 |
ま | なかったね。こなれたどころが20年経った楽器自体滅多に見なかった。やっぱりその後日本が経済大国になってから、入ってくるようになったんだろうね。 |
デザートタイム モロゾフのゼリーとミニレアチーズケーキ |
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ま | ところでベディキアンはどうなった? |
さ | もう引退・・・したと思いますよ、たばこと塩に出して、あれが最後 |
ま | あと解らないのは、トッカータっていう弦は何なの? |
さ | フランス? |
ま | そうサバレスにも入ってるシール、メイド・イン・フランスが入っている。 |
さ | 小石川商会って、 |
ま | そうそう、小石川商会って、セシリアの。でも音はサバレスによく似ている。 |
さ | トッカータ、でもあれはAKでしかやってなかった |
ま | でもいい弦なので僕はずっと使ってた。 |
な | どんな・・・ |
ま | サバレスの低音そっくり。 |
さ | もう90年代には完全に消えていた |
ま | それが年齢によっての好みでね、ああいう音っていうのは若い時分好きなんだね。で、だんだん年を取ってくると、ああいう音よりもっとシックな低音が良くなるわけ。 |
さ | 「ま」さん、あの頃コンセルティステなんかは使わなかったですか? |
ま | 使わなかった。好きじゃなかった、ちょっと鈍かったね。70年代からずっと10年以上トッカータと高音はオーガスチンの赤だった。トッカータが消えて無くなって・・・、オーガスティンの赤もなんだか質が変わってしまった。 |
さ | 最初の頃はオーガスチンの赤ってなかったでしょ? |
ま | 黒しかなかったよ。オーガスチンといえば黒だった、なんでもラベリャは何種類もあるそうだと聞いていた、ていうかあった。白、赤、黄色、ゴールドね。 |
な | ハナバッハは? |
ま |
ハナバッハは後発でね、70年代半ばに出てきた。 |
さ | すごい高い弦でしたね。 |
ま | ー最初は一番高いので始まったみたいだね。 |
さ | あの頃、5千円、7千円。 |
か | えっ!弦が? |
ま | 銀巻きでね、どういう事情か知らないけど、ハナバッハは最高級から売り出したみたいだ。 |
か | すごく高いよね、当時は。 |
ま | いや、このハナバッハは別にして、弦の値段って昔からあまり変わってないよ。僕が中学生の頃オーガスチンが1100円だもの、当時1100円の弦を買うといったらかなり勇気がいったよ、子供にすれば今でいえば10000円の買い物だよ。 |
か | お小遣いからしたらとてもじゃないわね。 |
さ | 僕が未だに覚えているのは、ヤマハに最初に通った時に月謝が1700円、オーガスチンの弦が1100円。 |
か | え、じゃ当時ラーメンはいくらでした? |
ま | ラーメンは100円しない |
か | そうですね、80円とか・・・ |
ま | 80円とか60円、普通のが60円、もやしそばとかタンメンが80円、五目、チャーシュー100円、その時代に1100円、ついでに云えば床屋が100円か200円。 |
か | えぇ? そうでした? |
な | 今の産業とか物に対する相関価値と当時とやっぱりちょっとバランスが変わっていますね? |
ま | 床屋あたりが一番上がったんで、要するに物を売るのではなくで、技術を売る、その技術料がうんと高くなった。逆に言えば昔の職人って安い賃金で働いていたんだね。 |
さ | 技術料っていうものがあんまり評価されなかったんですね。やはり物質、見える物にしか価値がなかった、あらゆる面で。 |
か | 見方によっては今でもあまり変わらないね・・・ソフトにお金払わない・・・ |
ま | 払いたくないんであって、売ってるものは結構高いでしょう。 |
か | 高い、高い。 |
ま |
売ってる物は高いけど、払いたくないから海賊版が横行する。弦にもどると高音なんか張ったら切れないから、1年も2年も張りっぱなし。 |
さ | 張ってた、張ってた。 |
な | だって、弦3セット位で安いギター買えたんでしょ? |
ま | そうそう、オーガスチンを買うとそうだよ。訳のわからない300円くらいの弦もあったけどね。 |
さ | 僕は69年に初めてオーガスチンを買ったんだけど、それまでヤマハの弦しか使ったことなくて、Tがある日突然オーガスチンを張ってきて、その時「えっ!お前ギター変えたの?」って聞いた覚えがある |
ま |
ああ、それ位違った。 |
さ | 同じ楽器でも・・・ |
ま |
それ位違ったし、その低音弦を更にサバレスに変えるとまたまた変わった。 |
「な」、信じられない面持ち |
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ま | いや、君たちは恵まれてるから、当時の貧乏人が初めてカツ丼食べた様な感激は今の人はなかなかないもんだよ。 |
さ | 「な」くんはもう最初からいろいろいいものがあった訳だから。やっぱりヤマハの弦からいくと・・・ |
な | でも僕初めて買ったのはヤマハの弦ですよ。 |
ま | その頃のヤマハの弦は、(質が)もうよくなっているんだよ。 |
な | でも最初に先生のところでオーガスチン張ってびっくりしましたもの。 |
ま | オーガスチンの何を張ったの? |
な | 赤、赤、青です。 |
ま | ああ、赤、赤、青より黒の方がずーっと鈍かったわけ。青や赤の低音ってよく鳴るんだよ。それは72年、3年にできた。その前の黒の低音っていうのは大して良くなかった訳。サバレスを張った後に思い出すと。 |
さ | 初めて張ったときは黒の低音でも輝くばかりの・・・、低音だったという記憶があるのだけど。 |
な | 当時のヤマハっていうのは? |
ま | 釣り糸張っているようなもんだから。人間、一番下から始めた方がその後の喜びは大きいかも知れないね。 |
か |
そうすると、昔のはナイロン・・・まあナイロンだけどもっとビニールぽかった訳? |
な | 低音弦が巻いてないとか、そういう訳ではないですよね。 |
ま | そういう構造的違いはないよ。低音の銅線とメッキの精度と巻く時のテンション、そういう事にノウハウがあったんじゃない? |
な | 見た目は変わらない? |
ま |
見た目は変わらない、でも高校生の時に初めてオーガスチン買って、これはいいな、と思って、その低音弦を鳴らなくなってくるとね、洗ってさ・・・洗って陰干しするといいって |
か |
洗うって話、前に大ちゃんのブログで読んだ、「昔はやったそうです」、って。 |
ま | 「やったそうです」って・・・大ちゃんは誰かの話を聞いたんだな。彼は経験ないだろうから。僕みたいに実際にやった経験のある者からすると・・・ |
さ | はい、僕の世代が最後です。 |
ま | 僕は中性洗剤で洗ったんじゃないの、脱脂綿にアルコールを浸してこすったの。 |
さ | あっ、それはいいですよね。 |
ま | あっという間に乾くし、でもね、白かった綿が黒いような、緑のようなのがザーッと付くよ。一旦はきれいになって復活したみたいになるのだけど、実質的にはもう伸びてるから。 |
さ | 僕はね、最初洗ったんだけど、大学の1年の後半でねそれを売ることを覚えた、フラメンコの人達はそれを買ってくれるんです。 |
一同 |
・・・ |
さ | これは商才があるなって思ったね、それをみんなに売って、もちろん10分の1位で売るんですよ、でも10人からいるから、それを売って自分でまた新しい弦を買うの。それを繰り返すから、弦にはお金がかからなくなる。 |
な | そんな・・・ |
さ | いや、フラメンコの奴らは切れるし、とにかく新しいのはいやだから、10分の1で買う方が、 |
ま |
でもフラメンコの音って新しい低音の方がいいと思うよ。彼らは違ったの? |
さ | 違う、よく来るKなんか常に僕から買っていた。1ヶ月以上張った弦を僕から買う。 |
ま | あとね、低音弦はちよっとずらして張る。フレットの当たる位置が変わるから少し復活する様な気がする。 |
さ | 今みたいに切ってはいけないんですね。最初から切っちゃうとずらせないから。 |
ま | そういういじましいというかせせこましい使い方してたんだよ。 |
さ | それとかね、(今はなき)ミックができてからは、僕が一括仕入れに行って、1セットは僕がもらう、手間賃として。 |
な | それって定価とか? |
さ | 3割引。 |
ま | そういえば、僕が高校生の時オーガスチンは高かったけれど、定価で買ってた。 |
さ | あの頃は定価でしたね。定価売りだった。 |
ま | 安く売ってくれる店がまだ存在しなかった。 |
な | (今はなき)AKは安かった? |
ま | 安かったよ、あれが安く売る店の最初じゃないかな。それ以前の銀座のY・Yや名門某社は定価売り。 |
さ | だから僕は安く仕入れて、 |
ま | 普通のお客が2割引だとすると、大学のギター部みたいに10セット、20セットまとまるとさらに10パーセント位引いてくれた。実際は100セットというかグロスで買うクラブが結構あった。 |
な | グロス、最近聞かない数字だ・・・、12ダースですね。 |
さ | 弦係というのが存在したんですよ。 |
ま | (弦のケースを指して)当時はこんなに種類ないんだ、だから今これだけの種類をグロスでストックしたら大変だけど、以前は大体どこのクラブはどの弦って決まっているから、割りに楽ではあった。ほぼ勧めるのが何種類か。一番多いのがオーガスチン黒の高音、サバレスの低音。 |
さ | オガレスといって、 |
ま | そうそう、それがなにかの間違いで反対の注文が来たことがある。ほんとにこれでいいんですかと何度も念を押したとか。 |
さ | あれは音の上下と張る位置の上下とを間違えたでしょうね。 |
ま | そうだろうね・・・アランフェスは71年か72年? |
さ | そうですね。 |
か | 今はあまり使われなくなった。 |
ま | あれは評判よくなかったなあ・・・低音弦が張ったとたんに切れることがあった。もっともギターも8000円のギターなんかだと仕上げがきれいだとは云えない、ナットの角あたりで切れちゃうかも知れない。 |
さ | 未だにスペイン製のギターなんかだとありますよ。 |
ま | 当時はスペイン製じゃない。 |
さ | 輸入物は高くてしょうがなかった・・・ |
ま | 当時スペイン製で普及品というとフアン・エストリッチとかタウルスとかあったね。 |
さ | 12〜3万位かな。 |
な | 今より高いですね。 |
さ | バレンシアあたりで作っている・・・ |
ま | 要するにアストリアスみたいなものだ。シナノとかヤイリとかさ、 |
か | 今日さっき来た人、ヤイリを持ってて、もうちょっと高いのが欲しいって、 |
な | でもヤイリはアコースティックギターとかで、 |
ま | 今ヤイリはアコースティックの最高ブランドでしょ? |
さ | そう、ケイ・ヤイリ。 |
ま | ヤイリカズオとサダオ。 |
さ | マタノだのヤイリだの、すごい話になっちゃいますね。番外編? |
ま | 今残っているのはどちら? |
さ | ケイだからカズオでしょうね。 |
ま | あれはね、スズキってあるでしょう? |
さ | スズキヴァイオリン、岐阜の方で作っている |
な | スズキヴァイオリンでフェルナンデスってギター作ってました?、僕の親父のがそうでした。フェルナンデスってあってスズキヴァイオリンって書いてありました。 |
さ | それって60年代じゃない?その後、フェルナンデスは河野賢監修になったんです。 |
ま | フェルナンデスって60年代からあった? もうちょっと新しい、70年代だと思うけど。 |
な | 70年前後、僕が生まれるか生まれないかの頃だと思いますけど。 |
ま | 正方形を菱形に貼ってあるラベルじゃなかった? |
な |
親父のは違いましたね。ちよっとネックとか細い。クラシックよりちょっと、 |
ま | スズキヴァイオリンて云うのはね、戦前、さっきの中国の話じゃないけど、世界中のヴァイオリンを席捲した時代があるの。 |
さ | スズキメソッドとは関係ない? |
ま | どうなんだろう、スズキって日本中で一番多い名前だし。ヴァイオリンの半機械製みたいの山ほど作ってね、練習用ヴァイオリンって世界中に売ってさ、財閥扱いされてた。だから多分戦後にGHQ入ってきた時、解体させられた。巨大産業と思われてた。 |
な | 世界に知られていたという事ですね。 |
ま | マルクノイキルヘンのヴァイオリンメーカーって云うのは、スズキに相当潰された。 |
さ | そうなんですか? 東ドイツ、ワイスガーバーがある所ですね。 |
ま | それで、スズキが二つに分けられたの。東西に。ひとつのスズキ・・・ |
さ | 名古屋スズキ、木曽スズキって、 |
ま | だよね、そのどちらかから独立していったのが、ヤイリ。 |
さ | そうですね、ヤイリは中部地区ですね。 |
な | 名古屋? |
ま | 名古屋が一人であと岐阜の方だよね、 |
さ | 名古屋には多いんですね、ギター、春日ギターとか。 |
ま |
名古屋って結構新しい事やるところでね、ピアノも浜松の方でしょ。あの辺で日本の楽器産業が始まったんだ。 |
さ | 東海楽器 |
ま |
ギターもヴァイオリンもそう。 |
さ | 物作り、名古屋ですね。 |
ま | で、宮本金八もヤマハにいたんじゃない? |
さ | ヤマハでした? |
ま | そう、その弟子が中出阪蔵。 |
さ | そうですよね。 |
ま | それで東西に分かれたスズキが、だんだん下火になって、まだあるのかね。 |
さ |
プリマ楽器のカタログを見るとまだありますよ。昔のカタログには木曽スズキ、名古屋スズキと書いてあったけど、今は無いな・・・ |
ま |
ひとつは東京のどこかに来たはずなんだ。大田区の方、大森とか蒲田の方、それで無くなっちゃった様な気がする。ちょっと残念だね、そういう話は。 |
さ | スズキヴァイオリンでギターも作ってるんですものね。 |
ま | 木曽スズキも作ってた。で、思うのは、ギターも順繰りに古い物を使うようになって、新しいのはあんまり要らなくなってきてるんじゃないかな・・・ヴァイオリンなんかそうでしょ、修理だけで食べている人、 |
さ | 日本の製作者のほとんどは修理で食べていますよね。 |
ま | ところが中国人の人口の内、相当部分がギター弾きだしたりすると、そういうのが一気に無くなってしまって、そうすると製作者はまた新しい仕事がやってくるようになるかも知れないね。でもこういうものも全部中国に行ってしまうと思うとちょっと・・・残念。 |
な | でも、いつかはそういう時代も来そうですね。 |
さ | いま既に日本に銘器が集まらなくなっているのは、外国の方が高いからです。日本にある楽器、海外に行った方が商売になると。 |
ま | だから「H」コレクションなんかアメリカにいっちゃった・・・ |
さ | そう、根こそぎ・・・ |